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第85話「最終話。介護転じて未来に向かう」 [その他]

「おやおや介護絵日記」も、ついに最終話になりました。
最後はちょっと前向きに、明るい話題で締めくくりたい
と思います。

介護は先が見えず不安だし、色々な事が生じて大変ですが
自分の軸をしっかりと持っていれば、恐らく必要以上に
揺り動かされず、ぶれないんじゃないかなと思います。
そして時には、介護をしなかったら到底巡り会えない様な
思いがけない未来が開ける事もあります。

私の場合は「絵描き」と言う職業柄、どんな状況にあっても
常に描く事を考えています。
「描くこと」が軸だとすると、介護はその周りに発生した
一過性の出来事でした。介護に限った事ではないのですが
日頃の生活の中で影響を受けたものは、自然と
作品と言う形に結びついて、出て来ることがあります。

そうした流れの中で、最初に形となって出て来たのが
このブログでした。次いでブログを読んで下さった
編集者の方に作って頂いた本が現れました。
これは私にとって初めての著書となりました。

85介護の本ができたこと.jpg

次いで、その本を書店で見かけた
TV番組のディレクターさんによって、ほぼ全国的にで放映して頂き
(それ以前から企画していた展示会では)都内のギャラリーで
原画展も開催できました。
(奥に映っているのがテレビ映像の一部)

85本の原画と映像と.jpg

次いで介護の舞台が自宅から病院に移った後は
病院へのお見舞いが飽きないよう、少しでも楽しく
通えるようにと、イラストマップを描いていた事は
以前、第60話でもお伝えしましたが、入院期間が長引くに従って
そのマップも描く範囲が広がり、ついには父の病院があった
F市全体の地図に仕上がっていました。

85イラストマップGP展.jpg

85イラストマップの詳細地図一例.jpg

縦2メートル、横3メートル30に及ぶ、この巨大な地図は
その後、F市の様々な方の協力を得て、市内各所で
展示会をさせていただく事になります。

85フォーリス展示2.jpg

85フォーリス展示大盛況の図.jpg

更にはこのマップ、読売新聞の多摩版でも紹介して頂けました。
(2017年8月25日)

本(ブログ)にしても、マップにしても、介護の気晴らしにと
自分一人の世界で描き続けていたモノが、思いがけず
沢山の方に観て頂けたり、仕事のキャリアに繋がった事を
不思議だなと思うと同時に、ありがたいとも感じます。

ただこうして私自身がテレビに出演したり、新聞に載ったり、
展示会でスポットライトを浴びたりと、華やかになる一方で
(ライトを浴びているのは、正しくは私ではなく作品なのですが)
中には「この絵が嫌い」とか「大して上手くもないのにねぇ」とか
「絵地図に自分の家が描かれていない。この地図はインチキ」とか
そういう意図しないバッシングも多々受けました。

85グリーン展示会風景2.jpg

でも、そういうのも含めて全ての出来事には
「良い事も悪い事も、同じようにある」と思います。
華やかさも、バッシングも、表裏一体。
だけどどんな時でも、何を言われても、それでも描く。
自分の軸があれば、ぶれないし、何にも負けない。
そう信じています。

介護なんて、出来ればしないで済む方がいいし
正直やりたくはありません。
でも上記の様に、介護をしなければ生まれて来なかった
作品もたくさんありました。
そして同時に、どんな状況に陥っても自分は描いていける
と言う、揺るがない自信を持つことも出来ました。

私の場合は「描きたい」と言う気持ちが、自分の軸でしたが
きっと人それぞれ「こういう風に生きたい」と言う
願いがあると思います。そういう核を持っていたら
もしかしたら介護の形態は、自ずとその信念に
寄り添うように変わっていくのではないかと思います。

介護は堅い鉄板の様な、動かしがたい脅威ではなく
考えようによっては、柔軟性を持っているものだと言う
捉え方もできます。
「介護」と言う重い現実に、押しつぶされるのではなく
この状況を自分でコントロールしてみようと言う、
強い気持ち、もしくは肩の力を抜いたユーモアのある気持ち
(両極端ですが、要はその人が困難を乗り越えやすい
心の状態)で臨んだら、様々な可能性がそこには見えてくる。
そう信じたいです。

「やはり、悪い事ばかりでもない」というのが、
私自身の介護の結論です。

父の介護は終わりましたが、私の人生と作品はまだ続きます。
これからもたくさんの困難や、華やかな出来事に
直面するかもしれません。
でもその都度、展開の意外性や、未知の出来事との遭遇に
ワクワクしながら、明るい気持ちで描き続ける事が出来ればと
思っています。

全85話にも渡る長いブログを読んで下さった皆様、
本を買って下さった皆様、
テレビや展示会を見て応援や感想を下さった皆様、
そして実際に父の介護に携わって下さった多くの皆様に
心より感謝いたします。

病を得て、社会との関係が希薄になっていた父に
「沢山の方が、本やブログを見て下さっているよ。
お役に立てている事も、きっとあると思うよ。
病院で寝たきりになっても、社会と縁が切れているわけでは
決してないんだよ」と、いつも話しかけていました。
読者の方の存在が、どれだけ本人の励みに
なっていたかしれません。

本当にありがとうございました。


85ラストの花かごの写真.jpg

総扉修正済み原稿100.jpg




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第84話「介護とは何か」(あとがきにかえて) [お見送り期]

2017年初春

父の介護生活を綴ったブログ「おやおや介護絵日記」は
2010年3月に父が倒れてから、2017年1月の納骨の儀まで
およそ7年間に渡る、長い記録になりました。

その間、私たち家族の生活は「父と介護」が中心でしたが
それだけではもちろんなく、仕事や、趣味や、交友関係…など
色々な物事が、並行して行われていた日々でした。

そんな日々の中で感じたのは
「介護と言うのは、私の人生の中の一つの通過点に過ぎない」
と言う事でした。
介護はそれ自体が重く大変なものです。
精神的にも、肉体的にも、金銭や時間的にも
のしかかってくる負荷は大きい。
その上、人の命に関わる事でもあります。

なのでさらりと「通過点」と言い切れるほど、軽いものでは
決してないのですが、それでもどんなに影響力が大きくても
例えば「彗星の衝突みたいに、ある日突然現れて
周囲の人々の人生を激変させてしまう程の、恐ろしい災い」
と言う類ではありません。

確かに介護をしている最中は、先が見えなかった不安もあり
「なぜ私が介護を…」と、たびたび重く捉えがちでしたが
過ぎてみると「きっとこの時期、この行動(介護)をする事が
私がやらなくてはいけない、修行みたいなものだったんだろう」と
割とさっぱり思えるようになりました。

一つの修行(カリキュラム)が終わったら、その次は
また新しい流れが来る。
そしてまた、それを乗り越える為に頑張っていく。
こうした事を繰り返して、私はきっと自分の人生を
作りあげて行くんだろうと思います。
そう捉えた時、介護は一つの通過点に過ぎなかったように
思えたのです

ただ、時には乗り越える事が困難な程
重くて辛い修行でもありました。
その中で生まれたのが、このブログです。
モチベーションを上げるために、外とのつながりを保つために
何とか介護を乗り越えるために、綴っていたブログです。
そしてこのブログを付け始めてからは、いつも前向きな発想を
心がけてきました。
それがきっと、悔いなく父を見送る事が出来た結果に
繋がったと思います

介護ブログはその間、本の形になって出版されたり
テレビで紹介して頂けたり、イラストの原画展を開催するなどして
当初の想像よりも、はるかに多くの方々に知って
頂く事が出来ました。
ブログは現時点(2017年2月)で、累計12万アクセスを超えました。
沢山の方々の励ましのお言葉や、さりげない応援も、
父を始め私たち家族を支える大きな力になりました。
この場を借りて、御礼申し上げます。


84介護って何?.jpg

ところで全てが終わった後、改めて振り返って
「介護って一体何だったんだろう」と思う時があります。
いつも後ろを振り返らず、前だけを見て来たつもりですが
後悔もありました。

最後に療養型の病院に入れた事も、少し後悔していました。
家に帰れず可哀想だったんじゃないか、とか
結果として死に目にも会えなかったじゃないか、とか。
あとはもっと優しくしてあげれば良かったとか。
でも父が亡くなった後、透析病院とのやり取りが記録された
ノートを見つけ出して読んでみると、もうすでに
療養型病院に入れる半年ぐらい前から、父の体のバランスは
崩れ始めていて、自宅で看られる限界に達していた事を
改めて知りました。
病院に居たからこそ、ここまで長く生きられたんだと確信して
後悔は消えました。

もしかしたら、ご家族の介護を経験された方の中にも
介護が終わって時間に余裕が出来て
ホッとしたところで「あともう少し、こうしていれば…」と言う後悔が
湧いてくる方が、いるかもしれません。
私自身、もうやる事がないと言い切れるほど介護したはずなのに
それでも「あの時…」と言う思いが生じるほどです。
たまたま我が家には、病院との記録ノートが残っていたので
それを開く事で現実を見る事が出来、後悔も消えましたが。

なのできっと、みなさんもその時々で「これが一番だ」と思う
ベストの選択をしてきていると思うんです。
だから、後悔は無用なんですよ…と思いたいです。

ところで病院で父と向かい合っている時は、不思議といつも
優しい気持ちになれました。
日常がどんなに殺伐としていても、忙しなくてイライラしていても、
何故か病院を出る時には、いつも穏やかな気持ちに
なっていました。
別に病床の父に、愚痴を吐いたわけではありません。
むしろ常に明るくて、楽しい話題を心がけていたので
日常の殺伐とした事は封印して、接していたにもかかわらず
それでもいつも私自身の心が穏やかになって、帰宅していました。

それがどうしてなのか、今もわかりません。
介護は弱った人の体を、周囲の健常者が支える作業だと
思うのですが、でももしかしたら、私達支える側の人間の心も
いつの間にか癒されているのかもしれません。
私は宗教には疎いんですけど、それでも
人の「優しさ」とは、神様に近い領域なのかもしれない…と
何となく、漠然と思います。
そこに触れる事で、介護する側もされる側も
相互にケアされているんじゃないか。
そういう精神的な領域にまで思いを達すると
「介護って何だろう」と言うテーマは、とても奥が
深いように思います。

介護は大変でした。
でも大変な経験だったからこそ、きっと得た価値は大きい。
そう信じたいです。



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第83話「さてさて、お墓の問題」 [お見送り期]

その1:2016年秋「お墓を選ぶ、いろいろ迷う」

秋風が吹く頃になると、色々な事が大分落ち着いてきました。
そうなると次は「お墓をどうしようか」と言う問題に直面しました。
お墓に関しては、墓守になる弟に一任していたので
手続き等の詳細事項はここでは省き、簡単な流れだけ
お話します。

まずは、お墓選び。
先祖代々お世話になっているお寺に
「土地に空きがありません」と断られた我が家でしたが
そこのお坊さんに「同じ宗派で、新しく作られた霊園がある」
と、住宅地にある墓地を紹介されました。
そこは家からも近いし、綺麗だし、なかなか良い雰囲気です。
しかし問題は少し狭い上に、管理費などが高いことでした。

迷っていると、今度は抽選に応募していた
新しく出来た公共墓地に、当選したと言う便りを受けました。
その墓地は開拓途中の山の頂にありました。
見学に行くと、広々としていてとても綺麗です。
山の周辺は住宅地なんですけど、義妹がつい
「海とかが見えてもおかしくない位、綺麗な風景ですね」と
口にするほど素敵な場所でした。

広くて安くて綺麗…しかし唯一「交通の便が悪い」のが難点です。
そこは私たちが住んでいる土地とは別の街にあり
しかも山の上です。出来たばかりなので交通がまだ
整っていない状態でした。受付の方に問うと
「近い将来、バスが通るようになる…と思います」と言う
見立てでしたが、それまでは墓地の最寄り駅からタクシーで
片道1500円程かかる距離でした。

災害時のお墓.jpg

更にちょうどその頃、大型台風が関東地方に直撃しました。
幸か不幸か偶然か、その時いきなり今まで受信した事が
無かったその街の「災害警報メール」が、私の携帯に入りました。
見ると「××地区は土砂崩れの危険があるので避難してください」
と書いてあります。
ここって…お墓がある山の場所じゃない!?

うーん、お墓とは一生の大きな買い物。
いや、一生どころか、もしかしたら何百年も先まで続く
買い物かもしれません。
「お天気や陽気が良い時ばかりではなく、雨や台風、
もしくは大雪などの場合もシュミレーションした方が良いかも」と
この時、感じました。
あとは色々な人の話を聞く事も、参考になるかもしれません。

お墓みんなの意見.jpg

結局、色々な紆余曲折を経ましたが
幸いもう一つ近場の公共墓地が当たったので
そこに決めました。


その2:2017年1月「そして納骨の日」

1月末の良く晴れた寒い朝、無事にお墓が完成したので
親族が集まって納骨の儀を執り行いました。

何でも新しかったり、一番が好きだった父。
ピカピカの真新しいお墓です。きっと喜んでいるだろうと思います。
私はこの時初めて知ったのですが、お骨はカロート(納骨官)の
手前に入れるものらしいです。奥の方に押し込めてしまうと
手前にもっとたくさんお骨が入るので、新しい死者を
呼び寄せてしまうのだとか。
迷信だとは思いますが、こういう儀式にはきっと色々な
験(げん)があるのでしょう。

(近所の方が「もしお骨を奥に入れられたら、直してもらいなさい」と
教えてくれたのですが、さすがに石屋さんは心得ていて
ちゃんと手前に置いてくれました)

新しいお墓に対する開眼供養(お性根入れ)のお経や
納骨の一連の式が終わった後、お坊さんが言いました。
「亡くなった方は修行の旅に出られます。生きている方も
この世でまだやるべき事が残っています。
お遍路参りには『同行二人(どうぎょうににん)』と
言う言葉がありますが、皆さんと縁があるこの仏様は
これから先も、皆さんの傍にいらっしゃいます。
辛い事があった時はその辛さを半分に
喜び事があった時は喜びを倍に、そうやっていつも
見守って下さいます」と。

そうですね、そうかもしれない。
私達の介護は終わったけれど、人は死んだら
それで終わりではないのかもしれません。

その後は簡単な会食へ。
色々と不慣れな作業もひとまず終わり、ホッと一息ついたのも
束の間、今度は次第に「あれ、なんかおかしい?」と…。
なんだかこの食事会、料理の量が多くない?

私の隣に座っていた年の近い従兄弟とも
「料理の品数けっこう多いね。お腹いっぱいになってきちゃったよ。
もしかして間違って来てたりしてね~」とか
「だとしたら、あの『南京饅頭』って料理がボリューム満点だったから
あれが怪しくない?」とか、そんな冗談で盛り上がります。
しかしそんな中、いきなり支配人らしき男の方が
「スミマセン」と言いながら入ってきて…。

どうやら本当に、料理を一品多く間違って持ってきて
いたらしいのです。
「それじゃあ、それは父からのプレゼントという事で」と言う形で
その場は丸く収められたのですが、再び従兄弟と
「一体何が余分に多かったんだろう?」と、あれこれ考えます。
結局、間違って来たモノはそんな豪華な品ではなく
ましてや疑いをかけられた『南京饅頭』でもなく、
単にシンプルな酢の物なのでした。

納骨の日.jpg

振り返ってみると介護を巡る日々は「えっ!?」と思う様な
不測の事態がたくさんありました。
そして我が家の場合は、最後の最後までこんな状態でしたが、
果たしてどこのご家庭でも、こんなに色々な事が
頻繁に起こっているのでしょうか?
それとも…うちだけ?

でもいずれにしても、賑やかな事が好きだった
父らしいかな、とも思います。


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第82話「四十九日と新盆と」 [お見送り期]

その1:紆余曲折を経て四十九日へ(7月26日)

葬儀の後は四十九日の法要を行いました。
けれど我が家は、ギリギリまで「四十九日はしない…
かもしれない」と言う、悩み多き状況にありました。
と言うのも、うちの地方の習慣では四十九日と納骨は
同じ日に行うのが一般的。しかし我が家はこの時点で
お墓がありませんでした。従って法要も出来ません。

しかし実はそれ以前に、もっと悩ましい事態が発生しておりました。
それは「葬儀の時にお経をあげて貰えない…かも」と言う
驚愕の実態でした。
そもそも我が家の菩提寺には、それこそ300年以上も前から
先祖代々のお墓があります。だから当然そこのお坊さんが
お経をあげてくれるもの…と、長年過信していました。

が、しかし。
近年お寺にお墓(檀家)が増え、お坊さんお一人では
対応出来なくなってきたので「このお寺にお墓がある人にだけ
お経をあげます」と言う方針に、変わっていた様なのでした。

法事の問題.jpg

確かに先祖代々の墓はあっても、父が結婚した時を機に
分家になった我が家には、まだお墓はありません。
それはまさに青天の霹靂(へきれき)と言うべき、大問題でした。
しかし葬儀はもう目前です。
お経をあげて貰わない訳には行きません。
とりあえず、その場では咄嗟に「父だけ本家の墓に入れますから」と
言う約束をして、お坊さんに葬儀を執り行って頂きました。

さて。
そんなこんなで、葬儀はどうにかなりました。
が、しかし。納骨はどうする?
本当に父だけ、本家の墓に入れてもらうわけにもいかないし
でも四十九日の法要をお願いしたら、当然「納骨を」と言う
運びになってしまいます。うーん、頭が痛い。
いっそ辞めるか、四十九日を。
(という事になりますよね、流れ的に)

しかしここで「待った!」をかけたのが、仏壇を購入した
仏具屋さんでした。
「(仏壇に置く本位牌に魂を入れる為にも)四十九日は
された方が良いですよ。そうしないと新しい仏壇を購入しても
使えない(意味がない)ですよ」と。
そして「お墓が無くても、お寺と交渉すれば法事は出来ますよ。
きっと話せばわかって貰えると思いますよ」と
アドバイスをして下さいました。

こうして仏具屋さんに背中を押される形で、
再度お寺に交渉しに行った結果、納骨をせずに法要だけを
執り行って頂ける運びになりました。

そして慌ただしく迎えた法要の日。
この日は7月末にしては梅雨明けもまだのせいか
気温が低く、涼しい風の通る日でした。
広大な本堂に通されると、左右の障子が少し開け放たれていて
まるで映画のロケのように、美しい竹林が見渡せました。
古刹の寺の厳粛な雰囲気は、始終慌ただしくて
なぜかトラブル続きのこの世と、静寂で厳かなあの世との時間を
深く切り離しているようにも感じました。

それにしても、法要の類はなんだか妙に疲れる気がします。
そう言えば亡くなった祖母も「仏様の事を行うと、疲れるモノだ」と
口にしていたのを思い出しました。
単に不慣れな事をしているから、かもしれませんが。


その2:新盆の支度をする(8月13日~16日)

波乱万丈の四十九日からわずか2週間ほど後、
今度は新盆の法要を行いました。
お盆の時期や支度は地方によっても色々と
相違があると思いますが、我が家では「ほおずき」や
「井草」や「竹」などを花屋さんに買いに出かけ、
どうにかこうにか盆棚の支度を整えました。
(本家筋のお盆の飾り付けを思い出してみたり、
本などを見て飾り方を確認しました)

更に新盆の時は、特別に白い提灯を玄関先に飾るのだとか。
これは初めて帰ってくる仏様が、道に迷わない様に
するためだそうです。

他にも「ほおずき」は明かりをともす提灯替わり
(もしくは日よけ)と言う意味合いだったり
キュウリの馬は「早くこちらに戻って来られるように」とか
ナスの牛は「ゆっくりあの世に帰るように」とか
ひとつひとつの飾り物に、ちゃんと意味がある事も
飾り付けをしながら確認していきました。

新盆.jpg

ちなみに子供たちは、くるくる回る「廻り灯篭(とうろう)」に
興味津々でした。そう言えば昔、(手のひらサイズの)
こういうオルゴールを持っていたな…なんて
私自身もついつい懐かしく、思い出したりもしていました。
灯篭、まさに走馬灯の如し…です。

母曰く、都会のお盆は場所もないから灯篭の数も
限られているけれど、田舎に行くと仏壇(盆棚)の両脇に
ずらっといくつも灯篭が並んでいて、それはそれは
壮観な風景なんだとか。

それはきっと幻想的な、異世界の光景でしょう。
こうやって、ひとつひとつの供養を経る事で
父との境界が出来て、結果的に少しずつ見送って
いく事になるんだなと思いました。



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第81話「葬儀前後のトラブルなどなど」 [お見送り期]

お葬式と言うのは、非日常的な出来事です。
なので当然、不慣れな事の連続です。
失敗しても仕方がない…とは思うのですが、なぜか
「失敗は許されない」様な、厳粛な雰囲気も漂っております。

そしてそんな緊張感の中、人によってはテンパってしまい
珍妙な言動をし始めたり、許容範囲がすごく狭くなる事もあります。
すると自然とトラブルも多くなる…今回はそんな類の騒動を
簡単にまとめてみました。

実際、身近な人の葬儀を経験した方々に
お話を伺っても、皆さん必ずと言っていいほど
「トラブルがあって、大変だった」と仰います。
大半は親族間トラブルでしたが、中にはご近所トラブルに
見舞われた人もいたりと、対象は様々でした。
内容的にも「何かと口を挟んだり、仕切りたがる人がいた」とか
「お金の事で、ものすごく執着された。もめた」とか色々です。

また介護をしている時点から、いつしかそこに「自分の居場所」を
見出してしまう人もいます。例えば定年退職した後に
行き場のない方などが、これに当たるとなかなか厄介です。
例えば「オレは(私は)再就職しないで介護してやっている」とか
「俺たちの働きは時給にするといくらになる」とか
珍妙な自己主張を居丈高に始めたり、更には
「この家の〇〇は介護していない」とか「年収800万円を
稼げない人間は発言権がない」とか、やはり珍妙な事を
主張しながら、今度は他者の攻撃を始めたりもする様です。

そしてこの流れで考えると、自然と葬儀の段階に至っても
色々と口を挟んでくる様は容易に想像できます。
しかし何せ介護よりも葬儀の方が、周囲も気持ちに余裕がないので
この時点でついに「トラブル勃発」と言う事態に陥ります。
私が伺った事例では、亡くなった方の直系の親族ではない人が
トラブルを誘発してしまったため、親戚どころか、ご近所中でも
「直系の親族でもないのにねぇ」とか「うちにはうちのやり方が
あるからねぇ」と、驚かれたとか。

そしてこう言うパターンは介護が終わって、もう用事が
なくなった後も、当人は理由をつけてそのままそこに
居ついてしまいがちです。当然ながら周囲からは
徐々に疎まれる…のですが、本人は「自分は役に立っているんだ」
と信じているので、なかなか解決が難しいとも思います。

トラブル語録.jpg
(色々な方にお話を伺うと、皆さんそれぞれ思う事はあるらしい…)

私自身の実体験から考えても、介護や葬儀を通じての
トラブル防止のために、なによりも必要とされるのは
「デリカシー」だなと痛感しました。

「病院へのお見舞い」の際にも同じことが言えますが
全てにおいて、介護をしている家族や、亡くなった方の遺族に対する
「デリカシー」を意識すれば
多少のトラブルは防げるかもしれないと思うのです。

自分の存在を誇示したり、自分の主張を通す前に
まずは一呼吸おいて発言を胸に留める。
そして「相手が一番望んでいるモノは何か」を考えます。

ちなみに私の場合は、ただでさえ身内を亡くして
悲しい想いを抑えながら、葬儀の準備と向かい合っていた時
欲しいものは、ただ「配慮」だけでした。
それに尽きました。
必要な情報や助けは、それを持っている人
(私の場合は直系の親族である伯父(父の兄)や、葬儀屋さん)
の所に自ら伺いに行き、お願いしました。なのでそれ以外の方は
(第79話のご近所の方々のように)
黙って手を貸してくれたり、見守っていてくれれば十分でした。

話変わって、お金の問題。
例えば『うちはお金がないから、争いもない』と考える方もいるかも
しれませんが、経理に詳しい人に聞くと「そうでもないですよ。
お金がなくても、もめる所はもめるんですよ」と言われました。
もめるパターンも、故人の子供たち同志とか、叔母と甥もしくは姪とか。
各家庭によっても、当然ながら千差万別の様ですが
でも一律して、お金関係のトラブルは解決に時間もかかりそうですし
どれも根深そうだなと言う印象は、耳にするたび感じました。

逆に「えっ、こんなトラブルもあるのか!?」という様なモノも。
例えば我が家では、父が亡くなった直後、長年携わってきた
お役所関係の作業の功績に対し、表彰されることになりました。
なんでも役所の偉い方が数名自宅に来て下さるとかで
「スーツを着て待っていてください」と言う連絡が突然入りました。

さぁ大変です。(表彰の時期が葬儀の直前だったので)
とりあえず喪服の準備は出来ていましたが…スーツがないよ!
そんなもの、ふだん着ないよ!
「どうするスーツ!」「喪服じゃダメか!?」なんて感じで
いきなり洋服ダンスを引っ掻き回す騒動が、繰り広げられました。

スーツない.jpg

などなど、多かれ少なかれ非常時には予想外の事がつきものですし
また人間の素の性質も、出やすくなる時だと思います。
なので事前に「こういう時は、トラブルが起こりやすいらしい」と
心構えをしておけば、仮に何かが起こっても多少は落ち着いて
対処できるのでは…と信じたいです。
願わくば、何も起こらない事が一番なんですけど。

最後にトラブルではないけれど、ちょっと驚いたのは
病院の請求書をみた時、ちゃんと「死後の処理代」と言う項目が
組み込まれていた事でしょうか。
その金額や…わりと高い。
介護って最後の最後まで、結構「こんな所にも、お金が要るんだな」
という様な細々したところに、お金がかかった気がしました。
でもそれも、ある程度は仕方ないのかもしれません。

今回はかなり言葉を選んで何度も推敲したので
逆に分かりにくい表現があったかもしれません。
その場合は、すみません。

請求書ビックリ.jpg


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